かんそうぶん

作品感想・音楽・ただのつぶやき/過去の感想はnoteに書いていたものを移動したものです

アニメ「神様になった日」感想

最近、『神様になった日』というアニメを見て思ったことをつらつら書いていきます。

超個人的考察と感想ですのであしからず。順不同だし書きながら言葉がうまく当てはまらない箇所もあってなかなかちゃんと書けてないけど、こういう視点も感想もあるんだな~ってくらいで読んでください。

ネタバレ見といてよかった

途中まで見てて、これって話どうなるんだ?面白いのか?という純粋な疑問が生れたためネタバレを見にいったのですが、個人的にはネタバレ見てよかった。ネタバレ見てなきゃ初見では正直いって補完できないことがありすぎる。逆に言えば、何回か見ればしっくりくる、視点が変わる作品なんじゃないのかなと。

 

博士(おじいちゃん)がしたことは救いなのか絶望なのか

難病のひなはおじいちゃんの開発した最先端のコンピューターを脳に埋め込まれたことによって日常を手にいれたわけです。けど、そのコンピューターがあまりにもすごすぎるから人類にとってよくない、早すぎると結局取り上げられてしまう。

「世界が終わる日」は人類すべての世界ではなく、たったひとりひなの世界が終わる日だった。それを知った時のひなの気持ちはどうだったんだろう。淡々と受け入れていたけれど、それはコンピューターによっての落ち着きなのだろうか。どうしようもできないとわかりきってることを受け入るって実はものすごいことだと思うのだけど。きっと陽太とお別れの時に流した涙はひなた自身のものなのだろうなとは思った。

で、ひなはまた難病の状態に戻ったわけだし、脳からコンピューターを取りあげられる時の恐怖を抱えているわけでしょう。コンピューターを取りあげられる前の記憶があるのかないのか、それによっても絶望のレベルって相当違う。記憶がもしもあったとしたら、あの楽しくて最高に輝いた日々を知った後に突然落とされる絶望なわけだよ。それはその日々を得たことによる幸せがあったことによって深まる絶望だとしたら、博士のしたことは果たして救いなのかどうか、最終回を見るまでずっと疑問だった。

 

陽太の行動にイラつくけど年齢と環境を考えたら仕方ないのかな

ひながいる施設で陽太が取った行動、感情的になって再三ひなを怯えさせるんだけどあれは正直ほんとお前はなんでそう学習しないんだよってイライラしちゃった。でも、年齢的なこと考えたらまぁそうなるのかとも思えるし、家庭環境も恵まれて穏やかなわけだし、そういう人が自分がなったこともない状態の相手の気持ちや状況にまで考慮して接するなんてまぁ無理なのかな、って気持ちにもなった。ただの身勝手というよりも陽太自身の焦りが産み出した行動だとしたら納得はできる。イライラするけど。

 

途中で出会うひなのお父さんの対応や言葉にモヤりつつも考えてしまう

ひながまだ元気で陽太と一緒にお父さんの元に行った際の、お父さんの陽太に対する言葉やひなへの対応にモヤりつつも、たぶんこの人自身が目の前の現実に戸惑っていてでもそれを自分の中でも処理しきれないのでは。結局人って自分の経験でしか物事を伝えられないし伝わらない部分が大きいから、お父さんはひながいた過去とひなのいない現在それぞれの経験があってそれを基にしか伝えられない。陽太は陽太で知らない過去のひなはまだ知らないわけだし現在のひなとの時間でしか伝えられない。難しいよね~って思う。それぞれがそれぞれの状況でしか生きられないわけだしそれをそれぞれが選んでいるわけだしそれでしか伝えられない。どっちが正しいわけでも間違ってるわけでもない。もはや何が正解なわけでもない。難しい。

 

施設の職員さんの私的感情での仕事っぷり

施設のひな担当の職員さん、最初は良い人なのかと思ったら、過去の経験からのある意味ひなに対する依存なんだなってちょっとうわぁってなった。適材適所はもちろんあるし、そういう過去があったからこそできることは沢山あるけど、陽太とのやり取りは完全にマウンティングマウンテン。でもひなが陽太の元に行くことを選んだ時にあっさりと「彼女が決めたことだから」と手放したのは意外だったし、依存だけじゃなくてちゃんとひなのことを一番に考えてくれてたんだなってことはわかって良かった。

 

前半の色々が長すぎて後半詰め込みすぎなのでは

話数に対して後半のたたみかけがすごすぎて、だったら後半のをもう少し丁寧に長くしてもらってもよかったのでは…みたいな気持ちになった。たぶんたたみかけすぎててついていけない人が多いからこそ批評が多いのではないかなと思う。前半のあれこれはひなが望んだ当たり前の日常の数々でそれは本当にひなにとってかけがえのない輝いた思い出だから大切な部分ではあると思うけど、だったらそれがもっとわかるように後半の部分でもしっかり説明するなり必要なのでは…。

 

最終回は泣きました

最終回の他に、伊座並さんの回も泣いたし、ひなが連れ去られる前に陽太に告白するところと施設でひなが陽太の元に行くシーンもちょっとジーンときた。

ずっと博士がしたことはひなにとって救いなのか絶望なのか疑問だったんだけど、最終回でひなが元気だった頃の日々が大切な思い出になってることがわかったし、何より陽太たちと一緒にいる時のひなの幸せそうな顔で、ひなにとっては良かったことだったんだなって思えた。だから泣けた。結局のところ、救いなのか絶望なのかはひなにしかわからないしひなにとってはそんなカテゴリーにわけること自体必要ないのかもしれない。

 

ひなと陽太の好きは恋愛感情を超えた好きなのかも

それぞれに好きだと告白するシーンがあるけど、あれを見てて私としては恋愛感情というよりそれも含まれてるかもしれないけどそれを超えた先の好きなんじゃないのかなって思う。ひなの見た目が若すぎるのもあるかもしれないけど、ヒロイン云々とかよりあまりにも純粋すぎる「好き」なんじゃないのかな。

 

現実はそんな甘くねーよ、と思ったとしても

陽太がひなを引き取ると決めてから、でもそれ家族にちゃんと言えよって思うし引き取ってからも絶対大変なことの方が多いって思うけど。陽太の両親なら何も言わないまま引き取っても受け入れそう(生前の博士と認識あるし元々のひなのこともわかってるだろうし)、大変なことばかりだけど決意した陽太ならたぶん紆余曲折あってもひなが生きている限りはやりとげるだろう、そうであってほしい。それに、これはあくまでも作品であってアニメであって、だからそういうものにまでごりごりの現実を反映させる必要ない。だって違う世界だもの。その先は描かれていないのだから、どうなるかなんて決まってない未知数なわけだから。

 

オープニングの『君という神話』が良い

あ、あとオープニングの『君という神話』がめちゃめちゃ綺麗な旋律で良い。歌詞も最初は気にしてなかった(声自体が旋律の色に見えたので)けどちゃんと確認したら内容に合っててこれまた良かった。調べたら作詞がそもそも原作者さんと同じみたいだからそりゃそうなのか。

 

一度見ただけじゃわからないことありすぎる

なんの事前情報もないまま所見だけだとちんぷんかんぷんなところがありすぎると思う。逆に何度か見たらここはこういう意味か、って新しい発見があるかもしれない(私はもう満足したので見ないけど)。そういう意味ではもったいないなって気がする。

 

この作品に限らず、そもそもアニメに限らずどんな作品でも見る側の想像力や経験によって話が深まったり薄まったりする作品ってある。かなりある。でもそれがあまりにも偏りすぎたり見る側に任せすぎると、なんだこれって思われる作品ばかりになってしまう。だから、最低限の必要な情報は話の中にちゃんとわかるように組み込むのは大事なんじゃないのかな~って思います。

見る側の想像力とかが大きく影響する作品だと私みたいにそれぞれのキャラの心情とかあれこれ考察してしまう人間にしてみたら面白い部分もあるけどすごい疲れちゃうから…。すごくあれこれ考えてこうかな?こうなんじゃないのかな?みたいになってわーってなるので、疲れます。やらなきゃいいじゃんて話だけど、もうこれは癖というか勝手になっちゃうから。

 

とりあえず、『神様になった日』は私にとってはいろんな意味で面白かったです。