かんそうぶん

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アニメ「テイルズオブゼスティリアザクロス」とゲーム「テイルズオブベルセリア」の感想

アニメ「テイルズオブゼスティリアザクロス」とゲーム「テイルズオブベルセリア」のネタバレを含みますのでご注意ください。

 

つい最近、ゲーム『テイルズオブベルセリア』をクリアして、今はサブイベントに取り組んでる最中。クリア前にサブイベントやるもんなんだろうけど、ついクリアしちまったから…。

ゼスティリアはアニメがとても気に入ってゲームも気になったのだけど、どうやらシステムもシナリオも評判が悪くて 炎上までしたらしく、アニメのイメージをそのままにしたかったからゲームには手を伸ばさず、かわりに評判のよかったベルセリアをやってみました。

ベルセリアはゼスティリアの遠い過去の話でゼスティリアザクロスにも少し出てきてるからわかるんだけど、ゲームやってからゼスティリアザクロスもう一回見たいな!ってなってます。

エゴや矛盾といった、人間の発する負の感情から生まれる穢れによって人間が業魔化してしまう世界で、感情があるから穢れてしまう=人間から感情そのものを無くし秩序ある世界を築こうとする側(でも一部の人間の手によって管理される形)と そのために実の弟を生贄にされ憎しみで喰魔化してしまった主人公ベルベットの復讐と戦いの旅がベルセリア。

主人公ベルベットが最初は完全に弟ライフィセットのための復讐で生きてるんだけど、カノヌシ ライフィセットに全否定される→壊れかける→聖隷 ライフィセットに全肯定されて最終的には自分と大好きだった人のための復讐で戦いを挑んでいく過程がとても良いです。表情も声も全然違うし、それ以前はベルベット自体から穢れが発生していなかったのに、ここを期に穢れが発生してくるのもなるほどなってなる。それ以前は完全に復讐するというだけの信念がつらぬかれていたから穢れが出てなかったけど(動機や行動がどうであれ自分の中に矛盾が生じていない)、自分の行動によってさまざまな人達に影響が出る(すでに出している)ことや、復讐を遂げた後のみんなのことを考えての揺らぎによるものだと思うと、すごく切なかった。人間らしくなったよね。

穢れを無くす=人間の感情を無くすという信念に至った義理の兄アルトリウスの思いも、そうなってしまった過程がわかるからなんとも苦しいよな~ってなるし、でも結局のところ本人が一番感情のままに動いてるじゃんって思ってしまう。この人は自分の感情を一番消したかったんじゃないかな、愛を得てしまった暖かさとそれを知ってしまったがゆえにその暖かさを失ってしまったときの悲しみや、守りきれなかった苦しみを。愛する妻と子供を失ってしまった悲しみと守れなかった苦しみ。妹弟を犠牲にしてまでも変えたい(消したい)と願う世界。強そうに見えて本当はとても弱くてその弱さを自ら知ってるからこそ、人間の感情を無くすという振り切った理に逃げたのかなと。勝手な考察です。

全ての感情を無くすことはもはや人であって人ではなく それは生きているといえるのかということになるので中々深いよね~ってなります。

 

ベルセリア、聖隷ライフィセットが可愛くて可愛くて、は~可愛い!しか言えない。成長を見届けることができて本当によかった。マオテラスになった時は可愛い姿じゃなくなっちゃった~って残念だったけど、

「僕は、この世界にもたらしたい!心を溢れさせてしまった人が、やり直せる明日を!どこまでも飛ぼうとする人たちが、翼を休められる時を!強くて弱い人間が……!怖くて優しい人間たちが……!いつか空の彼方に辿り着けるように!!」

っていう言葉にものすごくジーーーンてきてしまいましたよ。強くて弱い人間、怖くて優しい人間。どっちもあるのが人間なんだよね。ゼスティリアで憑魔になってしまったと知ったときはふざけんなよ~可愛いあの子になにしてくれるねん!と思ったけど、クロスでは結果オーライだったからね。アニメさまさまだよ。

ベルベットとアルトリウスの最終決戦で兄が息をひきとる前の言葉がひどいという書き込みも結構見たけど、二人の表情と心情を思うとひどいだけではおさめられないものがある。表現が難しくて言語化できないのだけど。ああ言われてもきっとベルベットは悲しくないしむしろ返答も本心だったのでは…?と思ってしまいます。

ベルベットとカノヌシ ライフィセットの永遠の眠りは仕方ないとはいえちょっと切ない。けど、きっとこれが二人にとっての幸せの形なんだろな。きっと純粋に姉と弟に戻ってる。エンドロールで流れる、眠る二人の姿と交互に現れる二人の旅の絵を見てるとそう思う。それが二人の幸せな夢だったらいいな。

最後アイゼンが船の皆に見えなくなってしまってるけど、それでも側にいるんだことをわかってもらえてて、アイゼンの微笑みもまた良くて。そこから月日は流れてのゼスティリアでのアイゼンとエドナを思うと色々と感慨深い。

ザビーダもね…もしザビーダが頑なに守っていたドラゴンもゼスティリアまでまだ生きていたとしたら、地上の穢れが薄れたことによってザビーダのことを認識できるようになっていたのかしら…なんて考えてめちゃくちゃ切なくなっちゃう。

 

ゼスティリアザクロスの主人公スレイは、穢れを浄化できるのだけど相手の穢れを受け止めなきゃいけなくて苦しむし、穢れを無くす=感情を無くすしかないのかという難題にぶつかるんだけど、

「人は穢れを抱え、日々戒め、それと向かい合う。だから人は強くなれるし、その弱さを認めることができる」

って素直にはっきりと答えることができるのが最高に好きなのですよ。誰しもが業魔になる可能性を持っている、でもそれとちゃんと向き合うことで血が通い感情をもつ人として生きていくことができると。

スレイのまっすぐさ本当に好き。ゲームだとちょっとキャラ設定違うみたいだから余計にゲームには手を出せない…。

クロスだとぶっちゃけラスボスのことはそいつ自業自得なんだから助けてやらなくても良いんじゃん?って思ったくらいハッピーエンドだった。スレイ、まじスレイ。ありがちなんだけど、一人が世界のために犠牲になってめでたしめでたしってなんかもやるんだよね~、一人が全部背負うのなんか違くない?ってアニメ見たとき夫さんに言ったら、でもきっとこれはスレイだけなんじゃないんだよ。ミクリオやライラたちもだしアリーシャやロゼもだけど、それぞれが今までも一緒に戦って色んなものを受け取ってさらにそれを後世に伝えていってるわけだから、きっと一人で全部じゃないんだよ、みんなで なんだよ。って言ってて、そうかぁってなんだかすごく納得してすっきりしました。

スレイ戻って来てくれてよかった。めっちゃハッピーエンドでよかった。これからミクリオとたくさんたくさん遺跡探検するんだね。世界をたくさん見ていくんだね。

 

人間の傲慢さやおろかさに呆れもしくは絶望し世界のリセットを望む側と それでもなお人間による希望を失わない側の戦い っていうのはよくあるけど、テイルズシリーズでの表現が私は結構好きなのです。自然と科学のバランスとか火風水土が関わるとことか。ゲーム3作品、アニメは2作品程度しかまだ知らないですけども。ちゃんと人間の善悪表裏一体なこととか、片側からみた正義は反対側から見たら悪っていう視点もちゃんとあるから良いです。そういう作品好きです。そんでハッピーエンドだと最高です。

というわけで今後はベルセリアのサブイベントをこなしていきます。全部クリアしたら終わっちゃうの寂しいけど、二週目という楽しみもあるので♪

公式本とか攻略本とか全然見てないただの個人的感想なのであしからず。公式本とか読んだらさらにここはこうだったのか!とか楽しみ増えるんだろな~!と思ってちょっと欲しくなってます。